天気予報はころころと変わり、数日前までの晴れマークが昨日になって午後から雷雨があり、その雨量も激しいという。何だ、話(予報)が違うじゃないか!と文句を云っても仕方がない。ザックに雨具とゴアテックスを突っ込んだ。
小田急・新松田に近づくと車窓の景色の中に山吹の黄色が目に飛び込んできた。今日のお花見を予告しそうな光景に思わず声を上げそうになった。
新松田駅前に次々と仲間が集まりだした。狭い駅前は他のグループも混じってごった返している。4月のMMCは1996年から最明寺史跡公園で花見と決めているが今年で丁度10回目となる。毎年、飽きずによく来たものだ。
平岡さんと佐藤さんの車が駅前に現れ重い荷物やお酒類を運んでくれることになった。後藤さんが江ノ島線に乗ってしまい、少し遅れるようだ。金田さん一行が待っていてくれるというので最明寺史跡公園目指して大部隊が歩き出した。ざっと数えて40名ほどいるようだ。
JR松田駅前を進んで246号線を渡っていつも右側の小道を進んでいたが先頭が左の道に進んでしまった。40名ともなるとどうしてもバラケてしまう。後ろの15名ほどはいつものコースを進んだ。東名の下を潜ってこどもの館に向う。ドウダン躑躅と菜の花の道を登る。ドウダンの白い花がビッシリと枝から垂れている。因みに「ドウダン」は「満天星」と書く。
こどもの館の広場で後続を待つ。どうやら246を左に向った一行は遅れているようだ。のんびりと日差しを受けて景色を見渡すが春霞で見晴らしは余りない。後藤さんを待っていた金田さん一行も到着し、全員が揃った。
小田急のロマンスカーに似せたミニSLが走り出した。線路脇の係りの人が"最明寺史跡公園の桜は今は満開ですよ"声をかけてくれる。ミニSLを追いかけるように線路に沿って歩き山道に入る。みかん畑には大きな実がたくさん落ちている。ハイキング姿の女性が落ちているみかんを拾っている。どうやら売り物にならない実のようだ。
土手に土筆を見つけた。鈴木さんが"土筆が沢山あるよ"と無線で知らせている。先週、多摩森林科学園で土筆をたくさん摘んで佃煮にして食べた旨さを思い出して口の中が潤んだ。その口の中、実は2日前から左上の奥歯が痛みだし、昨日仕事の帰りに歯科に寄って診察を受けたのだが虫歯でもなく歯茎でもなく歯そのものにひびが入っているようで修復不能との冷たいご宣託。抜くしかないのだがとり合えず噛み合わせを緩くして時を稼ぐことになった。
先に進んでいくと大分後ろと間隔が開いたようだ。どうやら後続は土筆摘みで時間を取っているようだ。舗装された山道の崖にはいろいろな草木が春の花を咲かせている。キブシの緑色の数珠球が連なって垂れている。シャガの繊細な花びらの模様が美しい。車窓から見た山吹の花が間近で光っている。"七重八重花は咲けども山吹の(実)みのひとつだになきぞかなしき"と詠んだのは太田道灌に山吹を差し出した少女が詠んだ詩か道灌本人の句なのか雑談をしながら歩いた。
帰宅後、インターネットで調べると「後拾遺集に醍醐天皇の皇子・中務卿兼明親王が詠まれたもの」だと分かった。インターネットは便利な現代の打ち出の小槌である。
車で先に行った平岡さんと無線連絡しながら最明寺史跡公園に着いた。想像したとおり全山花盛りである。最高のタイミングでやってきたことになる。美しいの一言。
公園に入ってすぐ近くの池の畔をぐるっと周って平岡さん、佐藤さんたちが用意した大きなシートを敷いたイベント場所に三々五々集まった。ここから先は花をじっくりと見ることもなく各自持ち寄った自慢の一品(二品も三品も持ってきた方も・・・)がずらりと並び銘酒も所狭しと林立し、圧倒的なイベントが繰り広げられた。いつもならだれだれの何々が旨かったなどと感想を書くところだがあのご馳走の山を見ると一つ一つ表現することもできない。そんな中で平岡さんの寿司樽がでんと構えていたことを思い出す。
ご馳走を前にして私の奥歯は前述の如く瀕死の状態。噛むことがままならず鵜呑みの状態。仕方なく主に流動食(酒?)をお腹の中に入れていた。

今回、10年ぶりにやってきた石根さん、沢田さんの懐かしい顔があった。本当に久しぶりの顔を見てうれしくなった。また、遅れてやってきた初参加の飯倉さん、小林悟さんの到着で今回の参加者は43名を数えた。平成13年12月の景信山の47名以来、第2番目の記録となった。
時間は1時30分、池をバックに記念集合写真を撮った。金田さんの三脚カメラの上に小林さんのカメラを載せて親亀小亀でシャッターが押された。
一応、13時50分で現地解散とし、直接下山する人、公園の最上部まで登って公園の俯瞰を眺めに行ったグループ、その中で松原さん、北村さん、豊田さんは寄(やどろぎ)まで歩いていった。
下山グループはお互いに無線や携帯電話で現在位置を確認しながら新松田駅まで歩いた。
天気予報では午後から雷雨ということで心配していたが何とか避けて通ったようだ。気温は予報よりいくらか低く足を止めていると汗が冷えてくる。空気も少し清んできてこどもの館まで降りてきたとき、西の空に尖った金時山、丸まった矢倉岳が霞みながらも存在を示していた。
最明寺史跡公園のお花見はこの10年間、一度も裏切られたことはない。桜のタイミングに遅れてしまっても雪柳、連翹、鞠桃と原色の花々が迎えてくれていた。まして今回は桜の満開のときにジャストミート、これでは注文の着けようがない。天気に感謝、お花に感謝の最明寺史跡公園であった。
太田道灌は扇谷上杉家の家宰でした。ある日の事、道灌は鷹狩りにでかけて俄雨にあってしまい、みすぼらしい家にかけこみました。道灌が「急な雨にあってしまった。蓑を貸してもらえぬか。」と声をかけると、思いもよらず年端もいかぬ少女が出てきたのです。そしてその少女が黙ってさしだしたのは、蓑ではなく山吹の花一輪でした。花の意味がわからぬ道灌は「花が欲しいのではない。」と怒り、雨の中を帰って行ったのです。
その夜、道灌がこのことを語ると、近臣の一人が進み出て、「後拾遺集に醍醐天皇の皇子・中務卿兼明親王が詠まれたものに【七重八重花は咲けども山吹の(実)みのひとつだになきぞかなしき】という歌があります。その娘は蓑ひとつなき貧しさを山吹に例えたのではないでしょうか。」といいました。驚いた道灌は己の不明を恥じ、この日を境にして歌道に精進するようになったといいます。
(http://homepage3.nifty.com/youzantei/mitisirube/yamabukidensetu.html)
文責:小川 武
写真:鈴木靖夫、小林庄一、小川武撮影