低山と言えど甞めたらあかんで汗一升
7月16日(土) 雷電山青梅丘陵 31名



 6月のMMCが済んでさて7月はどこにしようかと幹事でメール議論となった。2002年まで7月は鍋割山が定番となっていたが私を含めて数名がばててしまい翌年の03年は棒ノ折山、04年が高尾山と、鍋割山を敬遠してしまった。さて、今年はどこにするか、五日市の臼杵山、大月の岩殿山、中央沿線の矢平山辺りはどうか、とに角、2カ月おきに丹沢方面に出かけているので今月は奥多摩方面か。
 そこで7月2日、平井さんが気になる山、雷電山を下見してくれました。写真付きの下見報告には"コースは、歩行時間3時間40分です。登りは、雷電山までの50分〜1時間です。雷電山から矢倉台までは、2時間アップダウンの尾根歩きで、大した展望も無く退屈かも?その後は、地元の人のトレーニングコースで車が走れそうな綺麗な林道です。"とあります。
梅雨の時期でもあり、雨が降ったときのイベント場所が一番気がかりです。平井報告では"出来れば矢倉台展望所(小さいですが東屋)まで足を伸ばせばイベント可能です。"とも書いてあり、篠田幹事共々面白そうじゃないかと早速「雷電山〜青梅丘陵」と決めました。

 軍畑駅に9時11分着で下りたMMC仲間はとりあえず雨でないことを喜んでいる。しかし、天気予報では午後から雷雲も近づいてくるらしい。気温が上がるらしい。風もなくすでに蒸し暑い。参加者31名を確認した後、"今日は平井幹事が2日に下見してくれた楽しいコースです。ここの標高は250m、雷電山は494mですから標高差僅か250m、まあ、今日は一日低山を楽しみながらのんびりと歩きましょう"と挨拶した。


結構直登が続く

 駅前を9時30分に歩き出し、今は人気のない谷合製作所(製材所?)を右手に見ながら車道を歩く。僅かの上りながら蒸し暑さで汗が滲んできた。15分ほど車道を歩いて雷電山登山口に着く。ここで衣類を調整して山道に入った。平井さんが"雷電山まで階段の急登だが30分ほどで頂上に着きますヨ"と云うのでまあ、30分ほど汗をかけば後は楽勝だなと密かに思って登り始めた。本当に急登だった。汗が一枚のTシャツを濡らすほどだ。殆ど息が上がってしまったところで10時25分、やっと雷電山のピークに着いた。次々と到着する仲間もそれぞれ大汗をかいている。飯倉さんは身体を拭いたタオルを絞ったら大量の水が滴り落ちていた。
 平岡さんほか、何人かが遅れている。有吉さんが手助けをしに戻って行った。


電山山頂は狭く、展望もないが本当にひと息ついた

辛垣城跡に昔の面影はない

 辛垣(からかい)城跡は小さな窪地にあり確かにインキでイベントには不向きなようだ。"からかい"の読み方も変わっているがその由来を知ることも一興だろう。高札には以下のように書いてある。

 "市指定史跡 辛垣(からかい)城跡 ここ辛垣山(標高四五〇メートル)の山頂には、青梅地方の中世の豪族三田氏がたて籠もった天嶮の要害である辛垣城があり、市内東青梅六丁目(旧師岡)の勝沼城に対して「西城」と呼ばれた。 永禄六年(1563)八王子の滝山城主北条氏照の軍勢に責められ落城、城主三田綱秀は岩槻城(埼玉県岩槻市)に落ち延びたが、同年十月その地で自害し、三田一族は滅亡した。 城跡にあたる山頂の平坦部は、大正末期まで石灰岩の採掘により崩れ、当時の遺構は、はっきりしないが、堀切りや堅掘りをとどめている現状である。 昭和三十年十一月三日指定 青梅市教育委員会"

 辺りに大きな岩石がむき出しになってる。昔のなごりを思い起こさせるものは見当たらないが昔はこんなところでも戦いがあったのだろう。辛垣城跡から次のチェックポイント名郷峠に向かう。

 いきなりキツイ下りになった。急勾配で石が露出して滑り易い。細心の注意をしながら下る。テンポが上がらない。前を行く後藤さんが右斜めに滑った。頭から草木のある斜面に突っ込み一回転して止まった。ザックが引っかかってそれ以上転がることもなく大したことにならずに済んだが用心用心である。

 この急坂を後続は少々迂回したようだ。初めは近道のように思えたそうだが、しばらく下るうちに厳しさは増し、通行止めの鎖が張ってあるところに出た。何とかそこをくくり抜けて合流点の名郷峠で合流した。ここも素通りして矢倉台を目指す。イベント会場はやはり東屋がある矢倉台にしたいものだ。


矢倉台でイベントが始まった

シャンパンをあけて自ら誕生日を祝う

 次のピークで小休止、矢倉台まであと1時間とのこと。篠田幹事が"30分で行こう!"と息巻いているが地図を見るとそんなに軽いところではない。それでも休憩無しで平井幹事先頭にぐんぐん歩く。標高僅か4,500メートルの低山と言えどもアップダウンが多く、林で直射日光こそ避けられるが風もなく蒸し暑いこと甚だしい。
 後ろの方で巻き道を歩いていると無線が入った。地元のお年寄りと一緒になり、"矢倉台にいくなら近道ですよ"と教えられたそうだ。矢倉台の手前で女房たち、後ろ組みが前を歩いているのに出合った。ずい分近道したようだ。

 12時35分に着いた。平岡さんをエスコートしている有吉さんと無線連絡するとあと30分くらいのところを歩いているようだ。矢倉台の東屋は小さいながらもシッカリとした造りだ。早速、ビールで乾杯をした後、バーベキューパーティーだ。森本さんが鉄板で本格型で始めた。鈴木さんの焼餃子も板に付いてきた。私は焼きそばをプライパンに乗せた。後藤さんが越乃寒梅の一升瓶を廻している。
 盛り上がり始めたとき平岡さん有吉さんも到着、さあ、今から本格的なイベントだ。材料はいつものようにたっぷりとある。
今日、7月16日は田中さんの誕生日、自らシャンパンを持参してきた。人柄を表すように慎ましやか(?)に"ポンッ!"と鳴ってシャンパンが開いた。女性陣に囲まれて田中さんもご満悦でxx歳となった。


狭いところで顔が隠れてしまった人、ゴメンナサイ!

 今のところお天気は持っている。しかし、予報によればこの辺り午後には雷雲が近づくと云う。14時15分に狭い東屋に寄り添う形で集合写真を撮って30分に下山を開始した。三々五々林道を下って鉄道公園に着いた途端、雨が降り出し、遠くで雷の音が鳴り始めた。ここまで来れば大丈夫、やれやれである。先に青梅駅に着いた有吉さんと無線連絡を取りながら傘を差して駅に向う。遠い雷鳴が近づいてきて駅の構内に入ったとき、間近に落雷したような音がした。森本さんが"雷電山に来て雷鳴で〆たのだから大成功"と今日一日の山歩きを締めくくった。沿面距離は11km、数人の万歩計の平均を取ると21,000歩になる。結構歩き通したものだ。

教訓"低山と言えど甞めたらあかんで汗一升" (私の本音)
   "山椒は小粒でもぴりりと辛い"(篠田幹事の感想メール)

矢倉台:市指定史跡 物見櫓(矢倉台)
 青梅地方、かつての杣保(そまのほ)に拠点を置いた豪族三田氏は、代々、市内東青梅の勝沼城に居住していたが、北条氏照の八王子滝山入城による、多摩地方の情勢の変化を受け、永禄年間(一五五八〜一五六九)の初め頃、二俣尾の辛垣山に城を築いたといわれる。
 物見櫓(矢倉台)は、この辛垣城(別名西城)から南東約三キロメートルに位置し、戦略上重要な物見の場所であったという。
 「武蔵名勝図会」には「柵跡、ここは二俣尾の城より峰続き、三田氏居城のころ、この山に砦を構えて遠見の地なりしゆえ、この地をまた櫓台ともいう」と書かれている。



文責:小川 武

<写真 : 田中、 澁井、 篠田、 小川