喘いだ! 登った! 暑さにまいった!
7月15日(土) 岩 殿 山 30名


 9年前の5月MMCは亀沢さんのコースリーダーで岩殿山に登った。大月の駅から見上げるように聳え立つ絶壁の岩殿山は標高624mの低山。これを西側の浅利川から登るコースは岩場あり、鎖場ありのトレッキーな楽しいコースだったことを思い出す。最近、MMCの行き場所も段々狭まってきたので古い記憶を頼りに提案したリトライコースである。

 9時25分、JR中央線・大月駅に降りたときにはもう気温は27〜8℃か、空には雲も無く晴れわたり、すでに暑さをばら撒いていた。9時30分発のバスに飛び乗るとそこはMMCメンバーだけの貸切だった。亀沢さんがバスの時刻を調べておいてくれたため、炎天下の舗装道路を40分歩くところ、15分足らずで登山口の浅利小学校付近に着いた。
 点呼を取るとチェックした名前は29名、"この炎天下、今日の参加者は29名です。"と云うと恭子が"もっといるみたい"と云い、沢田さんが"数えたら30名いるよ"と云う。また、チェックミスらしい。

 前回は人家の庭先から吊橋を渡ったように記憶しているが今回は吊橋の先からの歩き出しとなった。二俣に分かれた道に標識がない。迷って右の道を進むと[稚児落とし⇒]が現れた。分岐点に付けておいて欲しいものだ。こんな箇所が2ヶ所あり、雑木林に分け入ると突然急勾配になる。風は全くない。汗が滴り落ちる。
 今日もコースリーダーをお願いした亀沢さんが"小休止"の声、ザックを道端に下して水分補給。山道はクヌギやナラが立ち込め風が全く通らない。スポーツドリンクを口にしてもそのまま肌から流れてしまうようだ。


この崖っぷちを歩いた。(稚児落とし)

 急登が続いていたがふと視界が開けると、「稚児落とし」の絶景ポイント。足元の岩は細かな砂礫が固まって大岩を形成しているので滑りにくく安心して岩の縁に立てる。
 それにしても「稚児落とし」は惨い名称だ。岩殿山城主の小山田信茂は武田勝頼(武田信玄の息子)の家臣として活躍したが、1575年、長篠の戦いで武田群が信長・徳川連合軍に破れたのち、勝頼を裏切って信長に降うたが不忠者と云われて処刑された。残された小山田氏の妻子は逃げたが途中泣き止まぬ子供を断崖絶壁から落として自らも自害したとある。それが「稚児落とし」である。
 ここのところ、わが子を橋から川に投げたとか高速道路に突き落としたとか、狂ったニュースが聞こえてくるが、小山田妻子の話は戦国時代の悲劇として今日までも伝えられたものであろう。
最近、吉川英治の新書太閤記を再読したが岩殿城の落城の記述は覚えていない。ただ、武田勝頼の終焉には次のように感慨している。

 勝頼は、側近数十騎と共に、小松ヶ瀬を渉って、ようやく、武節の城へ逃げ込んだ。――剛毅無双な彼も、終始、?のような無口になっていた。 設楽ヶ原いちめんに、赤い――実に赤い、夕陽は落ちかけていた。この日の大戦は、夜明け方の五時頃から開始されて、たそがれ近い四時少し前に終わった。一馬啼かず、一兵叫ばず、曠野は急に寂寞の底へ、とっぷり暮れ沈んでいた。まだ片づけられないまま夜の露に横たわっている屍は、甲軍の者だけでも、一万余とかぞえられたのである。


巻き道の林間コースで悪戦苦闘

 稚児落としで大休止の予定だったが少ない日陰で暑さに耐えられない。次のポイント、兜岩に向う。「岩場コース」と「林間コース」の分岐点で後者の「林間コース」をとる。こちらのほうが危険が少ないとの判断。だが、これは間違い。40度もあろうかとする崖を綱を頼りに登るのである。私の前で山本さんがグラッと傾いた。危ない! 思わず手が伸びる。続いて私も往生しながら登った。後続に恭子がいるのでしばらく待っていた。祐子さんの誘導で何とか登りきった恭子は膝をかばっていたが変な登り方で"グキ!と音がしてから楽になった"とおかしなことを云っている。続いて小松美恵子さん、普段旦那と二人参加のときは黄色い声を張り上げるところ、さっさと登ってしまった。"一人だと登れるの"とすましていた。
 兜岩を林間コースで巻いたところ、岩場コースからの鎖場が見えた。蟹の横ばいコースで見応えのあるコース。9年前にはたぶんこのコースをみんな楽々と渡ったように記憶しているのだが・・・・・。


蟹の縦這い

 再び風の通らない雑木林の中を登る。この辺りからへばり出した。休んでは水分補給、腰を下すと立ち上がるのが億劫になる。今日はかなりへばっていると自分でも意識する。ゆっくりと進む。前半は先頭組みに着いていたが、徐々に後方に回っていった。一歩一歩踏み締めるように喘いで登る。
 無線で"頂上着きました"と庄司さんの声が聞こえた。"みんなで休憩したところから10分程度で石段に出ます。そこから山頂まで5分と書いてあります。"と平井さんの声。あと僅かだ。頑張ろう。
 石段を這うように登って行くと山本さん、庄子さん、堀井さんが石段に腰を下してへたり込んでいる。私の同類がいました。失礼。上から降りてきた富沢さんが"もう頂上が見えますよ。みんなもう一息、頑張って! ネッ、小川さん"と私に同意を求め宮園組を励ましている。私も励まされて何とか山頂に出た。すでに東屋ではイベントの準備が始まっている。恭子は私が遅いので心配していたようだ。

 先頭で登った庄司さんが次々頂上にたどり着いたみんなにエジプト土産の乾燥ナツメの実を配ってくれた。その後も石段を下って遅れている人のザックを担ぎ上げている。頼もしい限りだ。
 椅子を出して座り込み、冷たいビールを頂くと生き返った気持ちである。今日のイベント、ラーメンの材料が所狭しと並んでいるがなかなか手が出ない。もう少し生き返りたいと日本酒を飲む。もう少し・・・・。


並んだ並んだラーメンの具が

男前の沢田ラーメン屋さん

 暑さでまいった人は私の他にもいたようで三々五々、上がってきたと思っていたが、田中さんが階段下でへたり込んでしまったと連絡が入る。田中さん持参の八海山だけが登ってきた。熱中症かも知れない。
 涼しいところで休むのが一番の治療法と篠田さんが氷り水を持って降りて行った。


今回のコースリーダー・亀沢さん

沢田さんが手際よく野菜を湯に通して具の準備をしている。女性陣が食材を分類して下ごしらえに余念がない。私も何とか気持ちが落ち着いてきたところで麺を茹で始めた。MMCラーメンパーティーは2度目である。前回で要領を収得(?)した。具と麺を別々の鍋で茹で上げ、出来上がったところで各自の食器に盛って、お好みの具をトッピングする。塩、醤油、とんこつと種類もさまざまな麺もミックスされて乙なものである。

 ラーメンパーティーも佳境に入った頃、ゴロゴロと雷様の声。東の空は薄暗い雲に覆われ始めた。鈴木さんが携帯で気象情報を見ると東京23区は雷雲で真っ赤(表示画面)だそうだ。早めに切り上げたほうが良さそうである。ナツメを食べて元気になった小俣さん(雨には弱いが晴れには強い?)と鈴木さんが一足早く田中さんのところに下りて行った。私も荷物をザックに詰め込み、後に続く。途中、篠田さんが上がってきて"田中さんはもう起き上がったから大丈夫"と云った。良かった。
 雷雨が来ないうちに下ろうと4人で先に下った。整備された石段を調子よく降りる。無線でみんなも下りだしたようだ。


元気な庄司さんを先頭に・・・

元気になった田中さんと・・

丸山公園の「ふるさとの館」に着いた。ここでみんなを待つことにする。この「ふるさとの館」には前回も入館して白旗史朗さん撮影の「秀麗富嶽十二景」の立派なパンフレットを頂いた。今回も親切な係りの人からパンフレットを頂く。城に見立てた2階の天守閣からみんなの降りてくるのが見える。


岩殿山岸壁を背景に記念写真(顔が見え隠れしていますが30名います)

 館の前の広場に並んで記念写真を撮る。田中さんの三脚を低くして澁井さんがカメラを下から見上げるようにセットした。岩殿山の岸壁を背景に入れる。

 雷も漸く遠のき黒田コーヒーで締めくくって大月駅に向った。中央線が雷雨で遅れ15時43分発のホリデー快速・大宮行きが遅れている。時間はすでに45分を過ぎている。10分ほど遅れで電車が到着し座席を向かい合わせて座ることができた。元気になった田中さん、元気だった庄司さん、地元の亀沢さん、それに長谷川さんが残って反省会をやるようだ。
 乗り込んだ電車はなかなか発車せず、その間、ホームに降りて缶ビールを買おうとする黒田さん。奥さんがハラハラ見守る中、缶ビールを買い込んで戻り、みんなの座席に配ってくれた。黒田さん、コーヒーも美味しかった。缶ビールも冷たく喉を刺激して旨かった。ご馳走様でした。

 9年前には楽しかったコースと思っていたが今年の岩殿山は山様が厳しくなった・・・筈はない。気温が高かったせいもあるが確かに歳の衰えは否めない。いつまでも若いつもりでいるわけではないがこれからも心して歩かねばなるまい。そんな感慨を抱いて、それでも仲間とお山に感謝しつつ、家路をたどった。


写真:澁井、平井、篠田、恭子、小川 (敬称略)

小川 武