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天候不順なこのところのお天気、MMCの日には何とか晴れて欲しいと願っていたが、その何とかが通じたようで朝から晴れ間が広がった。最明寺史跡公園でお花見をはじめたのは1996年だから今年で12年目になる。良くまあ飽きずに毎年通ったものだ。それほど、このお山は私たちを歓迎してくれるのである。
久し振りに参加した松岡さんとは電車の中で会った。完璧な花粉症でその季節は山歩きなんて行けないが大分収まってきたそうだ。彼が言うには「花粉症」と名前が付く前からひどい症状を呈し、その当時、いろいろな治療を試みたそうだ。
子どもの館に近づくと有吉さんからコールがあった。一足先に一人でここまで来てしまったようだ。恭子が先頭で登って行く。広場に着いて参加者の点呼をする。平岡車の5人を加えて総勢36名である。やはり、このコースは人気がある。ひと時富士山を見ながら小休止する。菜の花の少しきつい香りやお隣のハーブ園の香りも風に乗って漂っているような気がする。最明寺史跡公園に向って歩き出す。丁度、ミニ新幹線(お山のポッポ鉄道)が走り出した。子ども2人を連れた一家が乗っている。汽笛を上げて私たちの前を走っている。自然館を通ったところでミニSLとすれ違う。SLの方の乗客は満員だ。 長閑である。日差しは暖かい。蜜柑畑の農道を登る。みんな三々五々雑談をしながら登って行く。この上り坂は結構長い。道の脇にはいろいろの草花が秘めやかに佇んでいる。ナツトウダイはこの前の山行きで覚えた草である。スカンポ、ニガナ、・・・・・やっと山肌にヤマブキの黄色を見つけた。この色が見えてくると公園も近づいている。
少し下り坂になって最明寺史跡公園が見えるところまで来るといつも感動する。まだ花が残っている。特に菊桃や手前のピンクの桃の木の素晴らしさは目を見張るものがある。公園に入って左手の史跡公園由来の石碑の立った高台に平岡さんたち車組が用意してくれた大きさシートが敷かれ準備が整っていた。毎回、平岡さんの大シートにはお世話になる。
あっという間にシートの上にご馳走が広がった。私はシートの上に座を移し、次々とご馳走の山に挑戦した。どのご馳走が何方の作品なのか分からなくなってしまったが、その中でお料理に挑戦している男衆・小松さんの玉子焼き、北村さんの炊込みご飯、皆さん頑張っている。須田さんの手作りチャーシューも本格的だ。
ビールをひと口含んだあとはいつもの日本酒に切り替えた。田中さんの「八海山」、北村さんの「由布姫」はNHK大河ドラマ・風林火山にあやかった限定酒だ。我が家も「久保田・千寿」を恭子が背負ってきたのだが見当たらない。
お腹を満足させたあと、変わった炒め物を作った。千葉・成東で抜き取ったばかりの大玉葱を薄く輪切りにしてサラダオイルで炒め、塩胡椒をさっと振り、炒め上がったところで醤油で味を整えると出来上がり、口の中でとろけるような甘さが広がった。これはいけるぞ。 今年の東京マラソンを完走した森本さんが参加メダルと記録証を披露した。本人は申告タイムをかなりオーバーしてしまったと悔いていたが、あの氷雨が降りしきる中を完走したのだから大したものだ。今度は5月19日の芦ノ湖スカイラインのハーフマラソンに挑戦するそうだ。 飲んだり食べたりしているうちに13時30分、田中写真館で記念写真を撮る。田中さんの余興だろうか、またまた一発では決まらず笑いを誘った。
お腹を満足させたところで公園の上に登る。菊桃で記念写真を撮ったり、以前、イベントをやった木造遊具のある小広場を通過して登る。お酒が入った身体には結構きつい。頂上近くの展望台に出た。マスクをした青年がベンチにいたので挨拶をして展望台から眼下を見回した。春霞で松田の街が薄っすらと広がっている。青年に気になって振り返ると小林悟君ではないか。遅れてやってきたのだが、イベント場所が分からず、ここまで登ってきたそうだ。昨年も遅れてきたと思うのだが・・・
イベント広場まで降りて黒田さんコーヒーを頂く。14時30分、ここで散会として下山を開始する。でもみんな舗装道路の最短コースを松田に下る。大分、長く延びた列を東名高速道路手前の分岐で調整して再び新松田駅に向って歩き出す。この辺の民家の庭の花木が美しい。きょろきょろしながら日差しの中を歩いていく。どうやら心配したお天気も家に帰るまでもちそうだ。 最明寺史跡公園のお花見では毎回、平岡ご夫妻に大変お世話になる。すし桶一杯のちらし寿司など、沢山のご馳走を車で運んでくれる。車だからと平岡さんは好きなお酒を横目に見て我慢している。イベントの終盤には七重さんの和菓子のおもてなしも毎回のことである。大シートの準備、大量に出たゴミの始末まで一切合切お世話になる。平岡ご夫妻、本当にありがとうございました。 写真提供:田中、渋井、篠田、平井、小川、恭子
文責: 小川 武
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