一夜来の雨も上がって青空が広がる・・・最高の山行日和

10月20日 
陣 馬 高 原   33名


記録:小川 武


 6日前の14日(日)、平井さんと恭子と3人で陣馬山を下見登山を試みた。恭子が20日MMCの日に抜けられない別件があり、陣馬山に行かれないことを悔やんで行くことになったのである。コースはMMCとは真反対の逆コース、相模湖から大明神山−矢の音を経て明王峠に登り、西に奈良子峠に向って陣馬山に登るコースである。
今日は「ご案内」のように藤野駅から落合の登山口まで車道を歩き、栃谷尾根を登るコースである。

 朝から日差しが眩しい。青空に刷毛で掃いたような白雲があるが晴天である。正に行楽の秋、山歩きの秋である。1週間前と同じ電車に乗って藤野駅を目指した。高尾駅で小菅さんと会って大月行きの各駅電車に乗り込むと見慣れた顔が大勢揃っていた。
 9時18分、藤野駅を出るとMMCメンバーの笑顔がそれぞれ挨拶に余念がない。1か月ぶりの山歩きで勇んでいる人もいる。参加者を確認すると30名。おや、携帯電話が鳴ったぞ! 欠席の恭子から転送メール。森本さんが南部線の遅れで18分には遅れてしまうとのこと。さらに掛かってきた携帯は小林(庄)さんも遅れているとのことだった。こんなに良いお天気、狭い駅前で待っているよりゆっくり落ち合いに歩いていけば追いついて来ることだろう。

 トンネルの中は怖い。スピードを上げた車の轟音が身体に直撃する。"狭い日本、そんなに急いでどこ行くの"それから先もあやふやな歩道を選んで注意しながら歩く。30分歩いて落合に着く。県立陣馬相模湖自然公園「陣馬山登山口」の碑の前で小休止する。この道を歩いていたとき、第3の携帯電話、有吉さんも遅れて追いかけてくるという。森本さん、小林さんも遅れているから探しながら来てねと答えた。
 この登山口からすぐに左に入ると一ノ尾根を登って陣馬山、先日はこの一ノ尾根を下って来た。左に入らず直進するコースが栃谷部落を経由して栃谷尾根を登るコースである。今日はこのコースを登る。
 日陰は良いが日差しが当たると暑いくらいだ。舗装道路を登っていくと汗が身体を這って気持ちが悪い。先頭を黙々と登っていくとタクシーが追い抜いていった。有吉さんが乗っていたらしい。


栃谷集落の畑を抜けて行く

少し先でタクシーを降りた有吉さんが手を振っている。いい気なものだ。980円は安いよとほざくが汗びっしょりのわれわれもちょっぴり羨ましくなる。いかん、今日は山歩きに来たんだぞ!
 私は先頭を話しながら歩いていて、「陣馬の湯」で右の回り込む道を見逃して進んでしまった。3月にこの道を登ったというのにお恥ずかしい。おかしいぞと気付いてから左手の山道に入り、山の保全に携わっている人を見つけて教えてもらい、変な道を進んで、やっと見覚えのある栃谷部落に出た。10分以上遠回りしてしまった。皆さんゴメンナサイ。


栃谷尾根か-ら扇山方向を展望する
 栃谷部落を登りきるとやっと山道に入る。植林帯に入ると日差しが遮られて冷たい風を感じた。しかし、山道の傾斜が徐々に険しくなって汗がやたらと落ちてくる。眼に入って痛い。小林さんはすでにわれわれの群れに納まっているが森本さんはまだ見えない。携帯電話を取り出すとアンテナ3本、呼び出すと息の荒い声で"左の山道に入って登っているが山頂まで1.3kmの標識を通過した"という。それでは一ノ尾根を登ってしまったのか、それにしてもあと1.3kmとはずい分ペースを上げたらしい。われわれは山頂まで2.3km地点を通過したばかりだから30分は遅い計算になる。森本さんには山頂で会いましょうといってわれわれもペースを上げることにした。

天高く、白馬肥える秋

 コンロ、鍋持参のメンバーが足を速めた。平井さんがピッチを上げている。無線で用水所通過、どこそこ通過と現在位置を教えながら先を急いでいる。私もピッチを上げたいがこれ以上無理、私ピッチで登ることにした。
 最後のきつい階段状の木道を登りきると目の前に山頂の風景が現われてきた。時計を見ると12時を少し過ぎている。トップの平井さんたちに5分ほど遅れて山頂の白馬にタッチした。
 青空に白馬が眩しい。正に「天高く馬肥ゆる秋」だ。でもこの白馬は1950年代に京王帝都電鉄が観光地として売り出すために山頂に白馬の像を建て「陣馬高原」と名付けてからである。それまでは甲斐の武田軍ののろし台のあった陣場だったそうだ。ここが北条氏との戦場地であったことは今日の下り道にある「矢の音」ピークなども意味深い名前である。昭文社の地図によれば陣馬山(陣場山)と書かれている。京王帝都電鉄のもくろみは成功したのだろう。


ほんものの松茸をご覧の通り鍋に入れますヨ

澤田さんの鍋奉行と黒田コーヒー

 山頂付近のベンチはすでに満員で白馬を下って北側に下りるとそこはまだまだ空いている。早速コンロや食材がテーブルの上に満載された。今日もシェフは沢田さんである。平井さんはコンロに火を点けるとビールを振舞い始め、シェフの座をさっさと降りてしまった。キノコ鍋がイベントのキーワード、いろいろのキノコが並んだ。エノキ茸、ナメコ、ホンシメジ、シイタケは定番、ここ数年、大きく伸びたエリンギ、マイタケ、ブナシメジ・・・・・、艶のある栗色、クリタケも美味そうである。そしてキノコの王様、松茸も並んでいる。(松茸だけ差を付けて漢字で書きました)
 ビールも日本酒も回ってきた。青空の下に飲むお酒は甘露である。森本鍋の味も評判が良いようだ。
 キノコ鍋も出来上がってきた。大鍋3つが次々と仕上がってきた。今日の鍋には参加できなかった恭子も「豚ひき肉・シイタケ・きくらげ・レンコン・ごぼうの超微塵切り」の煉りものを私が持ってきた。福島さんもいつもの煉りものを次々と鍋にひねり落として行き、続いて恭子の煉りものを手際よく落としてくれた。
 "キノコ鍋が出来上がったよ〜"の声でみんなが寄ってきた。

 時間は13時半を回っている。秋は日の落ちるのが早い。大勢のMMC登山では日暮れ前に下山するのが鉄則である。集合写真は山の写真屋さん・田中さんが撮ってくれた。

 13時55分下山開始。明王峠に向って歩き出す。淡々とした穏やかな山道、先頭きって豊田さんがぐんぐんと下っていく。先週から国会中継で阻まれながらBS2で豊田四郎監督の名作映画が放映されている。私は12日の「雪国」を録画したが、同時代の「青い山脈」(監督は定かでない)は国会中継で飛んでしまった。私の青春時代に見た映画は印象深い。次々と名場面のカットがフラッシュバックする。その監督の息子が豊田さんである。彼も多分見ていることだろう。


MMCの旗の下、秋晴れに笑顔が並ぶ

レディースに混じって悦に入る私

 明王峠の茶屋は閉まっていた。先日の日曜日は開いていたから連休や日曜日しか開けていないのだろう。祐子さんが茶屋のベンチの下のアリ地獄の穴を見つけて砂を落として確認していた。昨年9月に来たときはもっと活発に砂を崩していたが夏の盛りは過ぎたようだ。ここからの展望は良い。少し日が傾いてきたが西丹沢の大室山が存在感を誇示している。相模湖の向こうに見える小高い山が石老山なのだろう。ひと時の休憩の後、相模湖に向って下っていった。
 まだ、4.1kmもあるとぼやいて有吉さんが例の韋駄天下りを始めた。MMC一行は大所帯、怪我のないようにゆっくりと下ろう。石投げ地蔵を通過して平坦な尾根を下る。殆ど高低差がなくなかなか高度が下がらない。600m以上下るのだからもっと急坂になってもいい筈が淡々とした尾根道が続いている。

 矢の音ピークを左手に周って太平小屋で小休止、バラケてしまった態勢をここで待って立て直す。最後尾が着いたところで"下りま〜す"と声をかけたら、今着いた人が休めず気の毒と優しい言葉をかけていた方がいた。早く歩いて休憩を取るか、ゆっくりと続いて歩く方が疲れないのか微妙な問題である。


与瀬神社への長い道

 有吉さんから無線で与瀬神社に着いたことを知らせてきた。そこで待ってくれるように答えて下山を急いだ。私が与瀬神社についたのが16時だったから丁度2時間程度かかったことになる。


半端でない石段が50段

 与瀬神社は昔、宿場に流行した疫病から宿人達を守った鎮守の神として与瀬神社の神体を崇敬し、疫病除けのため神輿渡御の例祭を行っており、「与瀬の権現様」の祭りとして町民に親しまれていると書かれているが特別な日のほかは社務所も無人のようである。中央自動車道が参道を遮ってしまい、それなりの立派な陸橋ができたとは言え閑散としてしまったことは否めない。50段の石段を下ったところにある金峰山・慈眼寺も山門を閉じてひっそりとしていた。

 与瀬神社にみんなが降りてきたところで相模湖駅に案内をして有志による2次会に中村屋の2階に上がったことは余談として記録に留めておくだけにしたい。


写真:田中章夫,平井義雄,篠田紀元、澤田泰典、小林庄一

平成19年10月21日 記 小川 武