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日差しのもと、新緑の中を歩く 日和田山からのコースは久しぶりである。前回は2002年9月、秋の一日を彼岸花と日和田山楽しんだ。 栗田さんの100名山完登表彰も行った。今回は、日和田山からユガテまでの山稜コースである。 春まだ浅い奥武蔵で春を待つ草花や木々は少しずつ蕾がふくらみ暖かい春を待ちわびている風情である。 高麗駅に9時30分に集合したMMCのメンバーは30名、しかし小川さんご夫妻と元気印の平井さんの姿がない。仔細は後に譲るとして、本日は久々に篠田会長の陣頭指揮によるMMCだ。期待しよう。
駅前広場から踏み切りをわたり暫く人家の細道を歩く。秋の彼岸花の時期の賑わいは、今日はない。静かだ。巾着田を右手に見ながら鹿台橋を渡り左折、暫く歩いて高麗神社への道を分けると今日の出発点である。 これから日和田山までは急登である。とりわけ男坂は足場も悪いので慎重に行こう。金毘羅神社に着くと素晴らしい展望が待っていた。日高のシンボルでもある金毘羅神社からの見晴らしはさすがに圧巻である。 巾着田はまだ冬のたたずまいで静かに眠っているが、暖かい春風にのって芽吹きの息遣いが聞こえてくるようだ。 更に登ると日和田山である。前回は頂上を巻いて先を急いだので、今回は頂上経由とする。日和田山は305m、頂上には石碑があり日高方面の展望が開けている。 急斜面を過ぎると歩きよい林の道となり車道に出る。NTTの中継所が見えてくるとそこは330mの高指山であるが、何故か解体作業中である。光化に伴ってマイクロ基地は縮小されるのであろうか。
高指山を右に見ながら舗装の林道を歩くと駒高集落に出た。トイレもあり、店先には春の幸「ふきのとう」が売っている。物見山までの急登に備えて一服することにしよう。アイスクリームが良く売れている。 物見山へは車道を分かれて登りとなるが難なく日当たりの良い明るい山頂に着いた。 ここで昼食としよう。物見山から少し行くと東屋があるそうだが、山頂周辺はベンチもあるし広々としてイベントには最適だ。今日はチーフ・シェフの小川さん不在につき篠田会長じきじきの水炊きである。渋井さんも大きな鍋を持参したそうで準備は万端である。 物価高の中にあってもMMCは例によって材料はふんだんに出揃う。 酒もビールも飲み放題だ。 ポン酢もたっぷりあり、材料もたっぷりある。各自持ち込みの珍味もある。 おかげで、天気も好し、さわやかな春風に至福の時間を持つことが出来た。 恒例の集合写真を撮影して、さあー出発だ。
檜の樹林帯の中の道は歩きやすい道だ。あずまやを右に見てさらに進むと車道に出た。北向き地蔵である。三体の地蔵が来た向きに祭ってある。 この地蔵尊の縁起は、天明三〜四年(1783〜4)の凶作が遂に大飢饉を生み、とくに東北諸国は悲惨を極め、これが徐々に南下しつつあった。 このとき権現堂村の市川源太夫勝豊が、この災難を法力によって防ぎ、村人の憂色を払わんと思い立ち、48名の里人とともに、野州岩船地蔵尊に祈り、その分身として三体の地蔵尊を譲り受け、遥か北の方岩船地蔵尊へ向かって建て、天・地・人ことごとくの守護としてかつ各地の罹災者のために念仏供養をして冥福を祈ったと伝えられている。
丁度北を向いて立っているので北向地蔵の名で親しまれているのだ。この辺からの眺望はよく、広く関東平野から東京湾まで見渡せるそうだが、今日は春霞で視界はない。 自然歩道を北向地蔵からユガテに向かう。杉林の道を進むとユガテと五常の滝との分岐だ。昭和12年に建てられた石の道路標識には[右 湯ヶ手方面]と刻されている。
ユガテについては、昔湯が天に届く位湯が出ていたが、ある年湯が天に昇ってしまい湯が出なくなってしまった。そこでこの地が「湯ガ天=ユガテ」となったという。ここから600m位うえに、湯の花とともに湯がブツブツ出ていたところがあるとか。集落には「湯が天」と看板が出ている。 それにしてもこのような場所で湯がでたのだろうか。 ユガテで野立をたのしみ、しばし桃源郷の雰囲気を楽しんだ。外人の子供ずれも芝生に寝そべってしあわせそうだ。
ユガテを出て暫く行くと林道に出た。案内書では更に下って車道に出ることになっているが、なぜかここに写真のような看板がある。作業休憩中のおじさんに聞くとどちらも時間は同じだという。なら車道より山道だという事で古道飛脚道を行くことにした。新しく手入れをした山道らしく快適である。アップダウンを繰り返しながら最後のくだりを下り切ると福徳寺に出た。車道との合流点である。 後は道なりに東吾野まで、元気に歩き、30名参加のMMC日和田山を終えることが出来た。 小川さんの大腿骨骨折の報は皆に少なからずショックを与えたのであるが、平井さんの捻挫を含めて、常に身体を鍛えつつも過信することなく慎重な山歩きを心がけて行こうと思う。
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